「ゲーデル、エッシャー、バッハ」読書会ブログ

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第2回「音楽の捧げもの」レポート

2016/4/23(土)、岩本町の「アキバ人狼館」でGEB読書会第2回「音楽の捧げもの」を開催しました。 今回は6名+スカイプ初参加の方1名の7名での会となりました。参加してくださった皆さん、お疲れ様でした。

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今回の範囲

  • 無伴奏アキレスのためのソナタ
  • [第3章] 図と地
  • 洒落対法題
  • [第4章] 無矛盾性、完全性、および幾何学
  • 小さな和声の迷路
  • [第5章] 再帰的構造と再帰的過程

(P77〜P165まで)

今回の会場

今回は変わった会場で、会話にとても集中できる空間だったと思います。「人狼館」の名前の通り、各種ゲームの会場にすると面白そうですね。 大きな宝箱も用意されていました。

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今回の内容

徐々にハードな内容になってきました。今回はとにかく「再帰」の付く用語が多くて、混乱しがちだったと思います。 スライドもそういった再帰のつく用語を中心にまとめてみました。

無伴奏アキレスのためのソナタ

3声のインヴェンション・2声のインヴェンションときて、ついにたった1人の無伴奏ソナタになってしまいました。

しかし、無伴奏でありながら、その向こう側の話し相手の存在がくっきりと浮かんでくる対話篇となっています。

もちろん、この対話は次の「図と地」にそのまま繋がっていきます。

[第3章]図と地

本章では、まず新しい「tqシステム」が導入されます。これは、前回のpqシステムと似た形式システムで、加算の代わりに乗算を表現したものとなっています。このシステムを使用して、素数を定理として把握できるか? という問いが最初に立てられます。

tqシステムは、乗算した結果である合成数を順番に作っていくことのできるシステムです。そこで、素数を特徴づけるために、tqシステム(ただし2以上の数限定)で作れない数が素数である、とできそうに思えます。

しかし、それは誤りだと著者は指摘します。

この提案の致命的な欠点は、Cxが定理でないかどうかを調べることが、形だけによる「字形的」規則として明白に述べられてはいない、ということである。

(82P上段)

形式システムは、公理から出発して辿り着いた定理については、明白に理解できます。それは、絵画で言うところの「」・前景や主題に当たります。しかし、その向こう側の「」・背景や余白については、何が言えるかは明らかではありません。

形式システムで作れる合成数に対し、「地」の部分(合成数でない部分)として素数を扱おうとすると、どうしてもシステムの外側からの視点が必要になってしまいます。

これらの穴もまた、ある共通の「枠」をもつだろうか? この表の中の穴であるということによって、すでに共通の枠をもっていると考えるのは妥当であろうか? 答は「然り」とも「否」ともいえる。

(84P上段)

そうして、話題は美術や音楽での「図と地」に移ります。図と地がそれぞれ意味を持つ場合もあれば、地に何も意味を見いだせない場合(例えば線画など)もあることが、具体例を元に語られます。

再帰的に加算な集合と再帰的集合

話は数学に戻り、ここで驚くべき事実が明らかになります。

どんなに複雑でもよいから、素数を積極的な部分−−すなわち、ある形式システムの定理の集合として表現する方法はないのだろうか?

私は素数については正しかったが、一般には誤りであった。このことは私を驚かしたし、今でも驚かしつづけている。次のことは事実なのである。

形式システムの中には、その消極的な部分(非定理の集合)がいかなる形式システムの積極的な部分(定理の集合)にもなりえないものが存在する。

再帰的に加算であるが、再帰ではない集合が存在する。

(88P)

ここでの「再帰的に加算」とは、数学の用語では帰納的可算集合と呼ばれているもので、「再帰的」とは帰納的集合と呼ばれるもののようです。

再帰」が2つ出てきて分かりづらいですが、私なりに理解した限りでは次のとおりです。

  • 再帰的に加算」な集合とは、ある形式システムで作れる定理の集合(「図」)。
  • 再帰的」な集合とは、ある形式システムで作れない部分の集合(「地」)が、別の形式システムでならすべて作れる集合。
  • 再帰的に加算であるが、再帰的ではない」とは、ある形式システムで作れる定理の集合だが、その形式システムで作れない定理については、どんな形式システムでも全てを作ることができない集合。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という、ウィトゲンシュタインの命題を彷彿とさせる事実です。

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洒落対法題

この対話篇では、まず亀がレコード「わたしはプレーヤーXではかからない」で蟹の完璧なレコードプレーヤーを破壊していきます。

それから、アキレスが持参した「完璧な杯」が出てきます。そうして、BACHの手になるそのガラスの杯の前で、BACHの名前が刻まれた最後のコントラプンクトゥスが演奏され、「完璧な杯」は破壊されます。

それぞれひどい話ですね。

[第4章] 無矛盾性、完全性、および幾何学

先ほどの対話篇を元に、レコードの溝から音へ、そして音からプレーヤー自身への逆噴射へ、という同型対応の連鎖について解説されます。あの逆噴射の対話篇がゲーデルの定理の説明になっている、とのことです。ただし、ゲーデルの定理の詳細はまだ明らかにされません……。

矛盾について

pqシステムに新たな公理図式が追加された「修正pqシステム」が示されます。付け加えられた公理図式のために矛盾した定理がたくさん出てきてしまうように思えるのですが、形式システムの解釈を変えることで無矛盾性は回復されます。

致命的な誤りは、新しいシステムを解釈するのに、古いシステムに用いたのと同じ言葉を何の疑いもなく採用したことである。

しかしシステムを支配する規制を変更すると、同型対応を損なう破目に陥る。それは避けることができない。だからさっき嘆いたすべての問題は、にせの問題なのである。それらは、そのシステムのある記号を適切に解釈してやれば、たちまち消滅してしまう。

(103P)

個人的にはこの事実に驚かされました。矛盾というものはもっと確固とした決まり切ったもので、何かで回避できるようには思っていませんでした。しかし、それは解釈を変えることで回避できる−−逆に言えば、矛盾は形式システム自身からではなく、その解釈から生まれるということになります。

明らかに、無矛盾性とは形式システムそれ自身の性質ではなく、そのシステムに対して提案される解釈に依存している。同じように、矛盾を含むということは、どんな形式システムにおいても本質的な性質ではない。

矛盾した定理の解釈を変えることで矛盾を回避した実例として、非ユークリッド幾何学が取り上げられています。平行線公理を変えることで、日常感覚としては矛盾している定理が出てくるが、日常感覚を離れたより広い世界からすると、それは矛盾ではなかったことになります。

完全性

記号が受動的な意味をもつための最小限の条件が無矛盾性であるとしたら、相補的な概念である完全性は、受動的な意味に対する最大限の裏付けになる。無矛盾性が「そのシステムが生成するものはみな正しい」という性質であるとすれば、完全性はその逆の道、つまり「正しい文はすべてそのシステムで生成できる」ことである。

(115P)

完全性とは「そのシステムの記法で表現できる正しい文はすべて定理である」ことを意味している。

(116P)

「図と地」の類推を使えば、形式システムが公理から始めて一筆書きで全ての定理(「図」)を塗り潰せること、と言えそうです。一筆書きでたどり着けないどこか離れた場所に「正しい」定理の飛び地ができてしまっている場合、その形式システムは「不完全」ということになります。

ゲーデル不完全性定理によると、十分強力なシステムではこの飛び地が必ずできてしまうとのことです。

ゲーデル不完全性定理のいうところでは、「十分強力な」システムはどれも、その強力さのゆえに、次の意味で不完全である。すなわち、あるよい列があって、数論の正しい命題を表現しているのに、定理ではない(数論に属する真実で、そのシステム内では証明できないものがある)。

さっき述べた、「完全性は、受動的な意味に対する最大限の裏づけになる」というのは、どういう意味であろうか? それは、もしあるシステムが無矛盾であるが完全でないときは、記号とその解釈の間にズレがある、ということである。そのシステムはそのような解釈を正当化する力がない。

(116P)

これは、本当なら愕然とする事実です。言い換えれば、どんな形式システムでも、定理を数論として解釈することは(究極的には)正当化できないということになってしまいます。

小さな和声の迷路

前の対話篇で邪智暴虐の限りを尽くした亀とアキレスですが、今度は「閻魔大吉」なる超一級亀食家に捕まってしまいます。なぜかアキレスも捕まってしまいます。

そこから、物語の中へのプッシュとポップを繰り返して、無事(?)に魔の手から逃れます。

[第5章] 再帰的構造と再帰的過程

ここでもまた「再帰」がたくさん出てきますが、今度は構造としての再帰と、手続きの呼び出し関係としての再帰が扱われています。

つまり、入れ子、および入れ子のヴァリエーションにほかならない。この概念は非常に一般的である。

しかし、この章での「再帰性」の意味は、第3章でとりあげた再帰性の意味とはほんのわずかのつながりしかないことを気にとめておく必要がある。

前の章で扱った「再帰性」とはだいぶ違うので、気をつけてくださいとのことです。

再帰的な処理の例として、対話篇の内容や、音楽の転調が挙げられます。コンピューターの世界では、これらはスタック(山積み)を使用したプッシュ(押し込み)とポップ(戻る)の繰り返しで表現されます。音楽が転調する場合、それまでの主調をスタックにプッシュすることで記憶し、転調が終わる時にスタックからポップして復元します。

同様の再帰性自然言語にあることも示されます。

われわれの心の山積み能力は、言語においてはたぶんいくらか強力である。どの言語の文法構造も、非常に洗練された押し込み型山積みの実現を必然的に含んでいる。ただし、山積みへの押し込みの回数がふえるとともに、文を理解するむずかしさが、著しく増大するのはたしかである。

(144P)

形式言語(プログラミング言語や数式)や自然言語再帰的文法を表すために、「再帰的推移図」(RTN)が紹介されます。これは、プログラミングの世界ではたまに目にします。面白い点は、本書にある通り、図の内部にその図自身の要素が現れることです。簡単な数式を表現する場合でも、カッコを使って式の中に式を入れ子にすることがあるので、どうしても再帰性が必要になります。

さらに、この図の再帰的な部分を展開していくことは、そのまま幾何学的構造として定義することができます。

この無限につづく木は非常におもしろい数学的性質をもっている。右端の辺を上に登ってゆくと、かの有名なフィボナッチ数列が現れる。

(149P)

この再帰的な幾何学的構造には美しい規則性があり、それはまた再帰的な代数的定義に正確に対応している。

(151P)

話は言語や数学にとどまらず、なんと素粒子物理学の世界でも再帰的構造が現れることが明らかにされます。

粒子は−−相対論的量子力学によってのみ厳格に定義できるある意味において−−ひょっとするとある種の文法によって再帰的に記述できるあるしかたで、たがいに内側へ内側へと重なりあっているのである。

(156P)

こういったコピーが繰り返される要素の間に、何か言えることはあるのでしょうか?

G図全体とその中の「コピー」との間の対応には、大きさの変更、歪み、裏返し等々が含まれている。しかもなお、骨格に一種の同一性が保たれていて、少し気をつけてみれば(とくにINTについて練習した後なら)すぐ発見できる。

(159P)

ただ驚くべきことは、エッシャーの絵、あるいはバッハの作品はほんの一部からでも、それとわかることである。魚のDNAが魚のどの小さな一片にも含まれているように、創作者の「署名」が作品のどの一小部分にも刻みこまれている。われわれはそれを呼ぶのに「作風」というような曖昧でとらえどころのない言葉しか知らない。

これからも「相違の中の同一性」、そして「二つのものは、どんなときに同じといえるのか?」という問いを目指して走りつづけることにしよう。この問いは本書の中でくり返し論じられる。われわれはこの問いをあらゆる角度からとり上げ、最後には、この単純な問いが知性の本質にいかい(ママ)深くかかわっているかがわかるであろう。

(162P)

最後に、前章との再帰性と本章での再帰性との関係が述べられます。

ある集合が再・加(r・e)であるとは、その集合が出発点(公理)の集合に推論法則をくり返し適用することで生成できることを意味している。だからその集合は、新しい要素がそれ以前の要素からどうにかして構成されるたびに、「数学的雪だるま」のように成長していく。しかしこれこそ再帰性の本質で、ある事柄が直接的にでなく、それ自身のより簡単な場合に基づいて定義されるのである。

このような考えをさらに推し進めると、適度に複雑な再帰的システムはどんな予定されたパタンからも逃れられるくらい強力であるらしい。そして、これこそ知性の要件のひとつではなかろうか?

この種の「もつれた再帰性」はおそらく知性の核心部分にかかわっている。

これは、本書のテーマの核心に近い記述だと思います。

ここでほのめかされた「知性の要件」や「知性の核心部分」についてさらに迫るのは、本書のずっと後の方になるでしょう。 その前に、ゲーデル不完全性定理をより明確に記述する、という山場が待っています。次回GEB会では、その山を一気に乗り越える予定です。

参考文献

ゲーデル不完全性定理周辺の話題となると、やはりこちらの作品がよく挙げられました。

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さらにハードな一般向け入門書としては、こちらもオススメです。

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次回の範囲

次回は、連休を頼りにして一気にPART1を終わらせてしまうという予定です。あまりにも難しかったら2回に分けるかもしれません……。

日程は5/29(日)になる予定です。皆様奮ってご参加ください。

  • 音程拡大によるカノン
  • [第6章] 意味の所在
  • 半音階色の幻想曲、そしてフーガ演争
  • [第7章] 命題計算
  • 蟹のカノン
  • [第8章] 字形的数論
  • 無の捧げもの
  • [第9章] 無門とゲーデル

(166P〜276P)