「ゲーデル、エッシャー、バッハ」読書会ブログ

「ゲーデル、エッシャー、バッハ」読書会のブログです。

第4回「字形的数論ワークショップ」レポート

先日7/3(日)、渋谷の「Connecting The Dots」で第4回「字形的数論ワークショップ」を開催しました。

参加者が少なくならないか不安でしたが、蓋を開けてみれば8人もの方々に参加頂けました。参加してくださった皆さん、ありがとうございました。

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今回は、GEBの中で定義される 字形的数論 (TNT)を、実際に手を動かして体験してみる、という趣旨でした。

TNTの公理をまとめたチートシートを傍らに、GEBで実際に証明された定理のうち簡単なものをいくつかピックアップして解いてみました。

今回使用したチートシートはQiitaに残しておきましたので、興味のある方は読んでみてください。

qiita.com

個人的な副読本として、前原昭二「記号論理入門」も役に立ちました。

記号論理入門 (日評数学選書)

記号論理入門 (日評数学選書)

命題計算

今回、さすがに2時間ではあまり多くの問題に触れられず、命題計算を少しだけ解いてみるだけに留まりました……。 取り上げた問題は、下記のようなものです。

  1. <P ⊃ ~~P> を証明しなさい。
  2. <<P ∧ Q> ⊃ <Q ∧ P>> を証明しなさい。
  3. <P ⊃ <Q ⊃ <P ∧ Q>>> を証明しなさい。
  4. <<<P ⊃ Q> ∧ <~P ⊃ Q>> ⊃ Q> を証明しなさい。
  5. <<P ∧ ~P> ⊃ Q> を証明しなさい。

これらはすべてGEBの中で実際に証明されているので、答えが気になった方は是非とも探してみてください。

次回

次回は8/28(日)を予定しています。 次回は今までの数理論理学から少し距離を置いた、コンピュータや脳科学複雑系といったトピックを扱う部分になります。 次回が終わると、いよいよ本書の内容も佳境に入ってくると思われます。

次回の範囲

  • 前奏曲 (P279)
  • 第10章 記述のレベルとコンピュータ・システム (P288)
  • ……とフーガの蟻法 (P312)
  • 第11章 脳と思考 (P337)
  • 英仏独日組曲 (P366)
  • 第12章 心と思考 (P370)

次回の参考文献

私は下記の副読本を読んでいこうと思います。

意識をめぐる冒険

意識をめぐる冒険

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

今回は幅広いトピックとなっています。何かオススメの参考文献を教えて頂ければ嬉しいです。

第3回「音程拡大のカノン」レポート

今回は忙しすぎてレポートが遅くなってしまいました……。

2016/5/29(日)、四谷三丁目のレンタル・スペース「マグノリアのカエル」で、GEB読書会第3回「音程拡大のカノン」を開催しました。

今回も8名もの方々にご参加いただきました。参加してくださった皆さん、ありがとうございます。

課題章

今回の課題章は下記です。

  • 音程拡大によるカノン
  • [第6章] 意味の所在
  • 半音階色の幻想曲、そしてフーガ演争
  • [第7章] 命題計算
  • 蟹のカノン
  • [第8章] 字形的数論
  • 無の捧げもの
  • [第9章] 無門とゲーデル

ゲーデルの定理に向かう技術的なトピックが多く、内容的にはほとんど数学基礎論の話になっています。

今回の内容は実際に手を動かしてみるべきだと思ったので、次回は同じ範囲で字形的数論ワークショップとすることにしました。

第4回 字形的数論ワークショップ

数学基礎論のさわりの部分を皆さんで体験できたらと思います。皆さん奮ってご参加ください。

今回のスライド

www.slideshare.net

今回の内容

音程拡大によるカノン

日本の俳句、それに音楽を鳴らすジュークボックスとレコードにまつわる対話篇です。

亀が奇妙なジュークボックスを紹介します。それにはレコードが1枚しかなく、しかもプレーヤーの方が回転して音を出す仕組みになっています。

別の曲を掛けた時は、なんとプレーヤーの方が別のものに入れ替わって、同じレコードから別の音楽を引き出します。

意味の所在

あるメッセージが受け取られた時、意味というものは果たしてどこにあるのか? ということが論じられます。

日常的な感覚では、意味はメッセージそのものに刻まれているように思えるのですが、深く考えると必ずしもそうとは言えません。

メッセージには次の3つの層があることが明らかにされます。

  • フレーム・メッセージ
    • 「私はメッセージです。もし可能なら、私を解読してください」というメッセージ。
  • 外部メッセージ
    • 内部メッセージをいかに解読するかを教える情報。
  • 内部メッセージ
    • 伝達されるべき本来の情報。

私たちがメッセージを「解読」するときには、かならずこの3つの層を通過します。 こういったメッセージを解読する知能というものは普遍的なものだろうか? という疑問が提示されます。人間以外の知能も、同じようにパターンの中にメッセージを認め、そこから意味を引き出すのか?

この疑問を解くためには、人間の直観と違った形で「知能」を定式化する=AIを作り上げるか、また、宇宙の別の知的生命体と出会うほかありません。

しかし、もし人間とまったく異なる「知能」を持っている生命体があったとして、果たしてそれが人間と同じ意味のレベルで交信できるのでしょうか……。

半音階色の幻想曲、そしてフーガ演争

亀とアキレスの論争の対話篇です。亀の矛盾を亀自身に納得させようとアキレスが策略しますが、その試みは見抜かれてしまいます。

命題計算

この章では、記号システムによる論理演算、「命題計算」が紹介されます。

この命題計算を用いると、限られた何種類かの記号と規則だけで、仮定から結論が導き出せます。もちろん、その結論はこの形式システムの上での「正しさ」に過ぎませんが、それでも、少なくとも厳密な方法にはなっています。

命題計算は、日常の言語に比べれば極めて単純で融通の利かない形式システムですが、もっと大きなシステムの基礎として埋め込むことができるものです。

続く章では、この命題計算を埋め込んだ数論のシステムが構築されます。

蟹のカノン

蟹を中心に、前後対称に展開される対話篇です。不思議なことに、後の方に行くと出だしと逆方向の対話になっているのに、ちゃんと意味が通るように語られています。

しかも、その対話の中で語られているのは「蟹のカノン」、本対話篇と同じように、時間的に前後対称の進行を見せる音楽についての話題です。

字形的数論

本章では、数論を記号だけの規則で扱えるようにする「字形的数論」、略して TNT (Typographical Number Theory) が紹介されます。

これは19世紀の数学者ジュゼッペ・ペアノが考案したペアノ数論と呼ばれる形式システムに基づいています。

0から始まる正の整数と、前章の命題計算、さらに一般化規則・存在規則・帰納規則を備えた非常に強力なシステムで、それゆえ TNT と名付けられています。

重要な点は、このTNTのような形式システムを使うと、出発点の公理から真となる定理を確実に作り出せる、という点です。

TNTを使った1つ1つのステップには、曖昧な部分も疑問になる点も何もありません。ただ規則の選択と繰り返しがあり、その先に確実な到達点 = 定理があります。そうやって、公理から何の誤りもなく辿り着いた定理は、論理的には、必ず真であるはずです。

以前にも出てきましたが、真となる公理から出発して偽にたどり着く心配がないこと、つまり 真 = 偽とならないこと無矛盾性 と呼びます。その意味で、TNTはおそらくきっと無矛盾です。

では、全ての真となる定理は、公理から出発してたどり着けるものなのでしょうか? この、真となる定理をすべて網羅できること完全性 と呼びます。

無矛盾性と完全性、この2つをTNTは兼ね備えているのでしょうか?

20世紀初めに活躍したダフィット・ヒルベルトは、このTNTのような、むしろより弱い形式システムを用いて、 TNT自身の無矛盾性と完全性を証明できる と考えていました。そうすれば、数学上の問題で曖昧なもの・わからないものは無くなり、すべては機械的に決定できてしかもそれが正しい、という事になります。

残念ながら、この目論見は続く章で否定されることになります。

無の捧げもの

禅と分子生物学が奇妙に入り混じった対話篇です。

矛盾に満ちた禅の公案が紹介され、なんとそれが糸の形に翻訳されて、しかも、ある決まった手順で仏性を有するかどうかが確認できる。そんな話をアキレスが亀に教えます。

しかし、「この心は仏である」「この心は仏ではない」この2つの公案については、どちらが仏性を有する本物の公案かは分からない、とアキレスは嘆きます。そして、仏性についてそんなにあれこれ問うべきじゃないと師から警告されたとも言います。

無門とゲーデル

対話篇を引き継ぐ形で、禅の紹介が続きます。

「言葉では真理はとらえられないというのが禅の立場である」

この禅の問題意識が、数学者にも通じていると解説されています。

「数学者のジレンマはこうである。形式システム以外に何に頼れるのだろうか? そして、禅家のジレンマはこうである。言葉以外に何に頼れるのだろうか?」

「言葉では表現できないし、言葉なしでは表現できない。」

禅の紹介に続いて、ついに本書の最初の方に出てきたMUパズルの回答が与えられます。MU(無)は作れるか? というあのパズルです。

ここでは、パズルが数値化されて数論の中に表現され、その上で回答が証明されます。(回答は本書参照) パズルの数値化は、ゲーデルが用いた ゲーデル の概念と重なります。MUパズルが数の問題、つまり数学的命題に翻訳されたように、数学的命題自身も、ゲーデル数の形で数学的命題に翻訳することができます。

「この簡単な知見がゲーデルの方法の核心にあり、絶対的な破壊効果をもたらす。それによれば、任意の形式システムに対するゲーデル数付けがあれば、ゲーデル同型対応を完成させる一組の算術的規則を端的に作り上げることができる。いかなる形式システム(実にあらゆる形式システム)の研究も、数論に移行させることができる−−これが要点である。」

本章では、ゲーデル・コドンという3つの数字の組を用いてTNT自身が表現できることが示されています。

さて、そのゲーデル・コドンを並べることでTNTの命題を表す数字が作れ、その数字に対してTNT自身で議論が行えることになります。すると、ある数字がTNTで定理となる命題を表しているか? という命題もTNTで表現できるようになります。

TNTの命題を数字(ゲーデル数)にコード化でき、それに対してTNTで命題が作れる……ということは、工夫すれば、 自分自身を表す数字についての命題TNTで表現できることになります。

本書では、その自分自身についての命題、自己言及文を G と呼んでいます。 G の内容は、下記のとおりです。

「GはTNTの定理ではない」

これだけでは、意味深ではあるけれど掴み所がありません。私の出来る範囲で噛み砕いてみます。

まず、Gは数字 です。ゲーデル・コドンで作られた命題を表す文字コードの列で、つまり テキストファイル です。

先ほどの「GはTNTの定理ではない」は、テキストファイル G.txt の内容が、TNTで作れる定理かどうかを問うている事になります。

「G.txt はTNTの定理ではない」

さて、G.txtの内容について、それを確かめる前であれば、何が書いてあるかわかりません。いろいろなものが考えられます。

それが昨日の晩御飯メニューや渡せなかったラブレターだったりしたら、当然TNTの定理ではないので、命題「G.txt はTNTの定理ではない」は真です。

もし、「1 + 1 = 2」だったり「57は素数ではない」だったりしたら、TNTで証明できる定理なので、命題「G.txt はTNTの定理ではない」は偽です。

G.txtに書かれている内容がどうであれ、「G.txt はTNTの定理ではない」は真か偽のどちらかに違いない、という点を踏まえ、ドキドキしながらG.txtを開いてみます。その内容は……。

G.txt はTNTの定理ではない

思考が止まりかけますが、頑張ってこの命題の真偽を考えてみます。

そもそもの命題は「G.txt はTNTの定理ではない」でした。そして、G.txtの内容は「G.txt はTNTの定理ではない」です。そこで、元の命題に代入してみると、

「G.txt はTNTの定理ではない」はTNTの定理ではない

になります。

こんなものはTNTの定理では無い気がします。そこで、「G.txt はTNTの定理ではない」は真という事にしてみます。すると、「(G.txt = 真の命題) はTNTの定理ではない」は真で、TNTの定理ではない……。

そう、 「G.txt はTNTの定理ではない」は、真の命題なのにTNTの中で証明できません。

この結果に納得がいかないとしたら、「G.txt はTNTの定理ではない」を偽にしてみるほかありません。すると、「(G.txt = 偽の命題) はTNTの定理ではない」は偽で、その否定「(G.txt = 偽の命題) はTNTの定理」がTNTの定理となります……。

つまり、 「G.txt はTNTの定理ではない」は、偽の命題なのにTNTの定理→矛盾になってしまいます。

ここで、次の2つの選択肢が与えられます。

  1. 「G.txt はTNTの定理ではない」は真で、TNTの中では証明できない。
    • TNTで証明できない真の命題がある
  2. 「G.txt はTNTの定理ではない」は偽で、「G.txt はTNTの定理」がTNTの中で証明できる。
    • TNTから矛盾が生じる

どちらが良いでしょうか?

矛盾が生じるくらいなら(「ああ、こんな矛盾が生じたんだから、これからは何でも信じなくちゃならない」)、少しくらい証明できない定理がある方がマシだと、多くの人は考えます。

そこで、TNTを投げ捨てるようなことはせず、普通の人は証明できない定理があることを受け入れて、 不完全TNTと共に生きていくことを選びます。

さて、そういう現実的な決意をした上で、もういちど元の命題を見てみます。

「GはTNTの定理ではない」

これは、不完全なTNTと共に生きていく決意をした後になってみれば、確かに真 であることがわかります。

そう、TNTの中では証明できないが、その外側では確かに真と言える命題 になっているのです。

これはめまいがするような体験です。

このめまいを、次回のGEB読書会では 身をもって 体験できるようにしたいと思います。

第2回「音楽の捧げもの」レポート

2016/4/23(土)、岩本町の「アキバ人狼館」でGEB読書会第2回「音楽の捧げもの」を開催しました。 今回は6名+スカイプ初参加の方1名の7名での会となりました。参加してくださった皆さん、お疲れ様でした。

www.slideshare.net

今回の範囲

  • 無伴奏アキレスのためのソナタ
  • [第3章] 図と地
  • 洒落対法題
  • [第4章] 無矛盾性、完全性、および幾何学
  • 小さな和声の迷路
  • [第5章] 再帰的構造と再帰的過程

(P77〜P165まで)

今回の会場

今回は変わった会場で、会話にとても集中できる空間だったと思います。「人狼館」の名前の通り、各種ゲームの会場にすると面白そうですね。 大きな宝箱も用意されていました。

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今回の内容

徐々にハードな内容になってきました。今回はとにかく「再帰」の付く用語が多くて、混乱しがちだったと思います。 スライドもそういった再帰のつく用語を中心にまとめてみました。

無伴奏アキレスのためのソナタ

3声のインヴェンション・2声のインヴェンションときて、ついにたった1人の無伴奏ソナタになってしまいました。

しかし、無伴奏でありながら、その向こう側の話し相手の存在がくっきりと浮かんでくる対話篇となっています。

もちろん、この対話は次の「図と地」にそのまま繋がっていきます。

[第3章]図と地

本章では、まず新しい「tqシステム」が導入されます。これは、前回のpqシステムと似た形式システムで、加算の代わりに乗算を表現したものとなっています。このシステムを使用して、素数を定理として把握できるか? という問いが最初に立てられます。

tqシステムは、乗算した結果である合成数を順番に作っていくことのできるシステムです。そこで、素数を特徴づけるために、tqシステム(ただし2以上の数限定)で作れない数が素数である、とできそうに思えます。

しかし、それは誤りだと著者は指摘します。

この提案の致命的な欠点は、Cxが定理でないかどうかを調べることが、形だけによる「字形的」規則として明白に述べられてはいない、ということである。

(82P上段)

形式システムは、公理から出発して辿り着いた定理については、明白に理解できます。それは、絵画で言うところの「」・前景や主題に当たります。しかし、その向こう側の「」・背景や余白については、何が言えるかは明らかではありません。

形式システムで作れる合成数に対し、「地」の部分(合成数でない部分)として素数を扱おうとすると、どうしてもシステムの外側からの視点が必要になってしまいます。

これらの穴もまた、ある共通の「枠」をもつだろうか? この表の中の穴であるということによって、すでに共通の枠をもっていると考えるのは妥当であろうか? 答は「然り」とも「否」ともいえる。

(84P上段)

そうして、話題は美術や音楽での「図と地」に移ります。図と地がそれぞれ意味を持つ場合もあれば、地に何も意味を見いだせない場合(例えば線画など)もあることが、具体例を元に語られます。

再帰的に加算な集合と再帰的集合

話は数学に戻り、ここで驚くべき事実が明らかになります。

どんなに複雑でもよいから、素数を積極的な部分−−すなわち、ある形式システムの定理の集合として表現する方法はないのだろうか?

私は素数については正しかったが、一般には誤りであった。このことは私を驚かしたし、今でも驚かしつづけている。次のことは事実なのである。

形式システムの中には、その消極的な部分(非定理の集合)がいかなる形式システムの積極的な部分(定理の集合)にもなりえないものが存在する。

再帰的に加算であるが、再帰ではない集合が存在する。

(88P)

ここでの「再帰的に加算」とは、数学の用語では帰納的可算集合と呼ばれているもので、「再帰的」とは帰納的集合と呼ばれるもののようです。

再帰」が2つ出てきて分かりづらいですが、私なりに理解した限りでは次のとおりです。

  • 再帰的に加算」な集合とは、ある形式システムで作れる定理の集合(「図」)。
  • 再帰的」な集合とは、ある形式システムで作れない部分の集合(「地」)が、別の形式システムでならすべて作れる集合。
  • 再帰的に加算であるが、再帰的ではない」とは、ある形式システムで作れる定理の集合だが、その形式システムで作れない定理については、どんな形式システムでも全てを作ることができない集合。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という、ウィトゲンシュタインの命題を彷彿とさせる事実です。

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洒落対法題

この対話篇では、まず亀がレコード「わたしはプレーヤーXではかからない」で蟹の完璧なレコードプレーヤーを破壊していきます。

それから、アキレスが持参した「完璧な杯」が出てきます。そうして、BACHの手になるそのガラスの杯の前で、BACHの名前が刻まれた最後のコントラプンクトゥスが演奏され、「完璧な杯」は破壊されます。

それぞれひどい話ですね。

[第4章] 無矛盾性、完全性、および幾何学

先ほどの対話篇を元に、レコードの溝から音へ、そして音からプレーヤー自身への逆噴射へ、という同型対応の連鎖について解説されます。あの逆噴射の対話篇がゲーデルの定理の説明になっている、とのことです。ただし、ゲーデルの定理の詳細はまだ明らかにされません……。

矛盾について

pqシステムに新たな公理図式が追加された「修正pqシステム」が示されます。付け加えられた公理図式のために矛盾した定理がたくさん出てきてしまうように思えるのですが、形式システムの解釈を変えることで無矛盾性は回復されます。

致命的な誤りは、新しいシステムを解釈するのに、古いシステムに用いたのと同じ言葉を何の疑いもなく採用したことである。

しかしシステムを支配する規制を変更すると、同型対応を損なう破目に陥る。それは避けることができない。だからさっき嘆いたすべての問題は、にせの問題なのである。それらは、そのシステムのある記号を適切に解釈してやれば、たちまち消滅してしまう。

(103P)

個人的にはこの事実に驚かされました。矛盾というものはもっと確固とした決まり切ったもので、何かで回避できるようには思っていませんでした。しかし、それは解釈を変えることで回避できる−−逆に言えば、矛盾は形式システム自身からではなく、その解釈から生まれるということになります。

明らかに、無矛盾性とは形式システムそれ自身の性質ではなく、そのシステムに対して提案される解釈に依存している。同じように、矛盾を含むということは、どんな形式システムにおいても本質的な性質ではない。

矛盾した定理の解釈を変えることで矛盾を回避した実例として、非ユークリッド幾何学が取り上げられています。平行線公理を変えることで、日常感覚としては矛盾している定理が出てくるが、日常感覚を離れたより広い世界からすると、それは矛盾ではなかったことになります。

完全性

記号が受動的な意味をもつための最小限の条件が無矛盾性であるとしたら、相補的な概念である完全性は、受動的な意味に対する最大限の裏付けになる。無矛盾性が「そのシステムが生成するものはみな正しい」という性質であるとすれば、完全性はその逆の道、つまり「正しい文はすべてそのシステムで生成できる」ことである。

(115P)

完全性とは「そのシステムの記法で表現できる正しい文はすべて定理である」ことを意味している。

(116P)

「図と地」の類推を使えば、形式システムが公理から始めて一筆書きで全ての定理(「図」)を塗り潰せること、と言えそうです。一筆書きでたどり着けないどこか離れた場所に「正しい」定理の飛び地ができてしまっている場合、その形式システムは「不完全」ということになります。

ゲーデル不完全性定理によると、十分強力なシステムではこの飛び地が必ずできてしまうとのことです。

ゲーデル不完全性定理のいうところでは、「十分強力な」システムはどれも、その強力さのゆえに、次の意味で不完全である。すなわち、あるよい列があって、数論の正しい命題を表現しているのに、定理ではない(数論に属する真実で、そのシステム内では証明できないものがある)。

さっき述べた、「完全性は、受動的な意味に対する最大限の裏づけになる」というのは、どういう意味であろうか? それは、もしあるシステムが無矛盾であるが完全でないときは、記号とその解釈の間にズレがある、ということである。そのシステムはそのような解釈を正当化する力がない。

(116P)

これは、本当なら愕然とする事実です。言い換えれば、どんな形式システムでも、定理を数論として解釈することは(究極的には)正当化できないということになってしまいます。

小さな和声の迷路

前の対話篇で邪智暴虐の限りを尽くした亀とアキレスですが、今度は「閻魔大吉」なる超一級亀食家に捕まってしまいます。なぜかアキレスも捕まってしまいます。

そこから、物語の中へのプッシュとポップを繰り返して、無事(?)に魔の手から逃れます。

[第5章] 再帰的構造と再帰的過程

ここでもまた「再帰」がたくさん出てきますが、今度は構造としての再帰と、手続きの呼び出し関係としての再帰が扱われています。

つまり、入れ子、および入れ子のヴァリエーションにほかならない。この概念は非常に一般的である。

しかし、この章での「再帰性」の意味は、第3章でとりあげた再帰性の意味とはほんのわずかのつながりしかないことを気にとめておく必要がある。

前の章で扱った「再帰性」とはだいぶ違うので、気をつけてくださいとのことです。

再帰的な処理の例として、対話篇の内容や、音楽の転調が挙げられます。コンピューターの世界では、これらはスタック(山積み)を使用したプッシュ(押し込み)とポップ(戻る)の繰り返しで表現されます。音楽が転調する場合、それまでの主調をスタックにプッシュすることで記憶し、転調が終わる時にスタックからポップして復元します。

同様の再帰性自然言語にあることも示されます。

われわれの心の山積み能力は、言語においてはたぶんいくらか強力である。どの言語の文法構造も、非常に洗練された押し込み型山積みの実現を必然的に含んでいる。ただし、山積みへの押し込みの回数がふえるとともに、文を理解するむずかしさが、著しく増大するのはたしかである。

(144P)

形式言語(プログラミング言語や数式)や自然言語再帰的文法を表すために、「再帰的推移図」(RTN)が紹介されます。これは、プログラミングの世界ではたまに目にします。面白い点は、本書にある通り、図の内部にその図自身の要素が現れることです。簡単な数式を表現する場合でも、カッコを使って式の中に式を入れ子にすることがあるので、どうしても再帰性が必要になります。

さらに、この図の再帰的な部分を展開していくことは、そのまま幾何学的構造として定義することができます。

この無限につづく木は非常におもしろい数学的性質をもっている。右端の辺を上に登ってゆくと、かの有名なフィボナッチ数列が現れる。

(149P)

この再帰的な幾何学的構造には美しい規則性があり、それはまた再帰的な代数的定義に正確に対応している。

(151P)

話は言語や数学にとどまらず、なんと素粒子物理学の世界でも再帰的構造が現れることが明らかにされます。

粒子は−−相対論的量子力学によってのみ厳格に定義できるある意味において−−ひょっとするとある種の文法によって再帰的に記述できるあるしかたで、たがいに内側へ内側へと重なりあっているのである。

(156P)

こういったコピーが繰り返される要素の間に、何か言えることはあるのでしょうか?

G図全体とその中の「コピー」との間の対応には、大きさの変更、歪み、裏返し等々が含まれている。しかもなお、骨格に一種の同一性が保たれていて、少し気をつけてみれば(とくにINTについて練習した後なら)すぐ発見できる。

(159P)

ただ驚くべきことは、エッシャーの絵、あるいはバッハの作品はほんの一部からでも、それとわかることである。魚のDNAが魚のどの小さな一片にも含まれているように、創作者の「署名」が作品のどの一小部分にも刻みこまれている。われわれはそれを呼ぶのに「作風」というような曖昧でとらえどころのない言葉しか知らない。

これからも「相違の中の同一性」、そして「二つのものは、どんなときに同じといえるのか?」という問いを目指して走りつづけることにしよう。この問いは本書の中でくり返し論じられる。われわれはこの問いをあらゆる角度からとり上げ、最後には、この単純な問いが知性の本質にいかい(ママ)深くかかわっているかがわかるであろう。

(162P)

最後に、前章との再帰性と本章での再帰性との関係が述べられます。

ある集合が再・加(r・e)であるとは、その集合が出発点(公理)の集合に推論法則をくり返し適用することで生成できることを意味している。だからその集合は、新しい要素がそれ以前の要素からどうにかして構成されるたびに、「数学的雪だるま」のように成長していく。しかしこれこそ再帰性の本質で、ある事柄が直接的にでなく、それ自身のより簡単な場合に基づいて定義されるのである。

このような考えをさらに推し進めると、適度に複雑な再帰的システムはどんな予定されたパタンからも逃れられるくらい強力であるらしい。そして、これこそ知性の要件のひとつではなかろうか?

この種の「もつれた再帰性」はおそらく知性の核心部分にかかわっている。

これは、本書のテーマの核心に近い記述だと思います。

ここでほのめかされた「知性の要件」や「知性の核心部分」についてさらに迫るのは、本書のずっと後の方になるでしょう。 その前に、ゲーデル不完全性定理をより明確に記述する、という山場が待っています。次回GEB会では、その山を一気に乗り越える予定です。

参考文献

ゲーデル不完全性定理周辺の話題となると、やはりこちらの作品がよく挙げられました。

www.amazon.co.jp

さらにハードな一般向け入門書としては、こちらもオススメです。

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次回の範囲

次回は、連休を頼りにして一気にPART1を終わらせてしまうという予定です。あまりにも難しかったら2回に分けるかもしれません……。

日程は5/29(日)になる予定です。皆様奮ってご参加ください。

  • 音程拡大によるカノン
  • [第6章] 意味の所在
  • 半音階色の幻想曲、そしてフーガ演争
  • [第7章] 命題計算
  • 蟹のカノン
  • [第8章] 字形的数論
  • 無の捧げもの
  • [第9章] 無門とゲーデル

(166P〜276P)

第1回「音楽の捧げもの」レポート

2016/3/27(日)、GEB読書会第1回「音楽の捧げもの」を無事に開催することができました。 今回は主催2名も含めて10名+スカイプ参加1名もの方々に参加して頂けました。 参加してくださった皆さん、ありがとうございました。

www.slideshare.net

なかなか時間が取れず遅くなってしまいましたが、今回の範囲と当日の話題についてレポートします。

今回の範囲

  • [序章] 音楽=論理学の捧げもの
    • 三声の創意インヴェンション
  • [第1章] MUパズル
    • 二声の創意インヴェンション
  • [第2章] 数学における意味と形

次回の範囲

* 無伴奏アキレスのためのソナタ
  • [第3章] 図と地
    • 洒落対法題
  • [第4章] 無矛盾性、完全性、および幾何学
    • 小さな和声の迷路
  • [第5章] 再帰的構造と再帰的過程

(P77〜P165まで)

章の長さの都合で100ページ近くなってしまいましたが、なんとか頑張って読んでいきましょう!

[序論] 音楽=論理学の捧げもの

バッハ

1747年、フリードリッヒ大王に呼び出されたバッハが即興演奏の腕前を見せるところから、本書は語り始められます。 この時に王から与えられた主題をバッハが様々に変奏した曲集が、本章のタイトルにも取り入れられている「音楽の捧げもの」です。

この章は、バッハの音楽の核心を成すカノン・フーガや対位法についての解説であるとともに、本書自身への自己言及でもあります。 それは、次のような箇所から感じられます。

recherchéという語は、文字通りには「探し出された」という意味だが、同様の服み、すなわち深遠な、もしくは衒学的才気をにおわす。

(24P)

音楽の捧げもの』の十曲のカノンは、バッハが書いた最も精緻なカノンに数えられる。けれども妙なことに、バッハ自身はそれらを完全な形に書き上げなかった。これは意図あってのことだった。つまり、これらの曲をフリードリッヒ大王にパズルとして提出したのである。当時よく楽しまれた音楽遊戯のひとつに、単一の主題を与えて、それに多少巧妙なヒントをそえ、その主題に基づいたカノンを誰かに「見つけさせる」というのがあった。

(24P)

これは、実は本書にそのまま当てはまる言明です。GEBもまた、精緻なカノンであり、完全な形に書き上げられていない作品であり、読者の前に巨大なパズルとして提出されているものです。まさに「音楽=論理学の捧げもの」と題されている通りです。

バッハの作品について、本書でキーとなる「無限に上昇するカノン」が紹介されています。 転調を繰り返して無限に音が高くなるように聞こえて、実は最後に元の調に戻っている。バッハはそんな不思議なカノンを残しています。 著者はこれを、「不思議の環」の最初の例として取り上げています。

「不思議の環」現象とは、ある階層システムの段階を上へ(あるいは下へ)移動することによって、意外にも出発点に帰っているときの現象である。(ここでのシステムは、音階組織である。)不思議の環の生ずるシステムを揚言するために、著者はときおりもつれた階層という用語を用いる。

(26P)

音楽について私は素養がなくて解説できないのですが、会ではこんな本を紹介して頂けました。

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考えてみれば、音楽というものは、コンピューターもなかった時代にもっとも数学的で論理的な構築物だったと言えるかもしれません。

エッシャー

私の考えでは、「不思議の環」の概念を最も美しく力強く視覚化したのは、オランダのグラフィック・アーティスト、M・C・エッシャーの作品である。

エッシャーは数学的な作品を多く残しています。著者がここで取り上げているのは、『上昇と下降』と題された無限の階段を描いた作品や、『描いている手と手』という、手が手を描きその手がまた元の手を描いている作品です。

そこでは、いかなるひとつのレベルをとっても、つねにその上にもっと大きな「現実」のもうひとつのレベルがあり、つねにその下に「もっと空想的な」レベルがある。このこと自体にたまげてしまう。けれども、レベルの鎖が直線でなく環を成しているとしたらどうだろう。その場合、何が現実か、そして何が幻想か? 数々の半現実的、半神話的世界、不思議の環にみちみちた世界、見る者を誘い入れようとしているその世界、それを思いついただけでなく実際に描いたところが、エッシャーの天才である。

(32P)

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ゲーデル

この部分はバッハ・エッシャーに比べても難解で、かつかなり飛ばし気味です。正直、ゲーデルに関しては後の章でいくらでもやるので、ここでは雰囲気がつかめれば良いと思います。

大事なポイントは、バッハが音楽で表現し、エッシャーが絵画で表現した自己言及や「もつれた階層」「不思議の環」が、数学の世界でも発見されている、ということです。

本書が中心的に扱うのは、まさに、その数学上の発見物と、そこから派生するもろもろの概念です。

数学基礎論については、以前機会があって個人的にスライドをまとめたことがあります。 良かったらこちらも参考にしてください。

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三声の創意インヴェンション

有名なゼノンのパラドックスを下敷きにした愉快な対話篇です。亀とアキレスは、この後もずっと出てくる本書の主役級キャラとなります。

アキレスが亀に追いつくまで、まず半分の距離を移動する必要がある。半分移動したところで、亀は少し前進しているので、またその半分の距離を移動しなければならない。そこにたどり着いたとしても、亀はまた移動しており、また半分移動する必要が生じ……。よって、アキレスは永遠に亀に追いつけない。

ゼノン自身は、この運動の不可能性の他に、空間が存在できないという主張や、ものが多数存在できないという主張など、興味深い論理を展開していたようです。 次郎さんの開催されている二会では、以前に下記の本を扱ったことがあり、西洋哲学史の流れの中でエレア学派の一人としてのゼノンの紹介がされていました。

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ゼノンの論理は、論理としては正しくても、現実にうまく対応しないモデルとなってしまっているようです。このモデルと現実との対応や乖離については、この先の章につながっていくことになります。

[第1章] MUパズル

この章では形式システムの紹介が行われます。

MUパズルのルール

下記のルールに従って、M・I・Uの3文字を連ねた文字列を作る。

  1. 末尾がI 場合、後ろにUを付けてよい。
    • MI → MIU
    • MIII → MIIIU
  2. M〜という並び(〜 M 次から末尾まで)があれば 、〜 部分を2倍に増やしてよ い。
    • MIU → MIUIU
    • MIII → MIIIIII
  3. Iが3文字続いていたら、Uに置き換えてよい。
    • MIIIU → MUU
    • MIIIIII → MIIIU でも MUIII でも可
  4. Uが2文字続いていたら、そ U2文字を消してよい。
    • MIUU → MI
    • MIUUIU → MIIU

問題:MIから初めてMUが作れるか?

ここで、これからの議論で重要となる以下の用語が定義されます。

  • 定理
    • ルールに従って作り出された文字列
  • 証明・生成
    • ルールに従って文字列を作り出すこと
  • 公理
    • 最初に与えられる定理(文字列)
  • 生成規則・推論規則
    • 文字入れ換えの規則

それから、形式システムに対する3つの視点が紹介されます。

  • M方式 = 機械方式(Machanical mode)
    • 規則に従って文字列を操作していく方式
  • I方式 = 知的方式(Intelligent mode)
    • 規則を離れ、システムを外から観察する方式
  • U方式 = Un方式(Un-mode)

果たしてMIからMUは生成(証明)できるのでしょうか? それは、後の章で明らかになります。

二声の創意インヴェンション

引き続き亀とアキレスの登場する対話です。ここは「不思議の国のアリス」で有名なルイス・キャロルの物語がそのまま引用されています。

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この対話でも、論理(システム)と現実との乖離がテーマになっていると思います。現実と対応して考えたら認めざるを得ないことであっても、論理だけであれば無限に決定を引き伸ばすことができます。

次の章では、論理(システム)と現実との対応関係について解説されます。

[第2章] 数学における意味と形

次に紹介されるのは、pqシステムです。

pqシステム
  1. 3種類 文字 p、q、― を使用する。
  2. Xが―だけ 列であるとき xp―qx― 公理である。
  3. X、y、zがそれぞれ―だけ 列であるとき、xpyqz が定理であれ 、xpy―qz―も定理である。

今度の形式システムは、前と違って公理がパターンの形になっています。これは公理図式と呼ばれていて、このパターンにマッチするものは全て公理です。

そして、今回は生成規則が1つしかありません。

この章で明らかにされていることですが、実はこのpqシステムでは、算数の加法が表現されています。 規則に従う限り、最初のハイフンの列、p(plus)、次のハイフンの列、q(equal)、ハイフンの列の合計、という形になります。

決定手続き

pやqやハイフンの列を見たとき、それが正しくpqシステムで構築されたものなのか、あるいはそうでないのか、それを決定する手続きについて解説されています。 形式システムから作れる定理かどうかを調べる手続きは決定手続きと呼ばれます。決定手続きは次の2つが考えられます。

  1. ボトムアップ
    • 最も簡単な公理から、規則を総当たりで適用していき、目標の定理に辿り着く。
  2. トップダウン
    • 目標の定理をより小さな定理に分解し、最後に公理にまで分解できることを確認する。

会場では、これらを半自動で行えるソフトウェア(プログラミング言語))として、定理証明支援系のCoqが紹介されていました。

プログラミング Coq Welcome! | The Coq Proof Assistant

同型対応

pqシステムのような形式システム、形だけのシステムが、どのように意味を持つのか? その仕組みとして、同型対応解釈という概念が紹介されています。

形式システムと現実(意味を持つ世界)とは、それぞれ独立して存在します。それらは本来お互いに関わり合いがありません。

しかし、システムを見た人がそこに現実と対応する解釈を見つけると、形式システムに意味が生じます。それからは、意味に従った形式システムの解釈や検討が可能になります。

ただし、解釈にはどうしても人間の側の恣意性が生じます。まったく意味のない解釈もできれば、あるとき突然解釈にそぐわない結果を形式システムが返してくる可能性もあります。

会では、この解釈の問題について、最近話題の囲碁プログラムAlphaGoが話題に上がりました。 これはもちろん囲碁をするよう意図されたプログラムですが、内部の形式システムは本来囲碁とは独立で、それだけで動作可能なものです。 出てきた結果を人間が囲碁として解釈することで、初めて、それが囲碁を打っていることが明らかになります。

この章の最後で、本書全体を貫くひとつの問題が明らかになります。

非常に重要な問題は、われわれが定式化する記号処理のための規則が、われわれの頭脳によるふつうの論証能力と(数論に関するかぎり)本当に同じ能力をもっているかどうか、あるいはさらに一般的にいって、われわれの思考能力のレベルを、ある形式システムを使うことによって達成することは理論的に可能か、ということである。

紹介書籍

今回も多くの参考文献を教えていただきました。

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おすすめメタフィクション

togetter.com

メタフィクション文学について、なつめさんをはじめ文学クラスタの皆さんがたくさん作品を挙げてくださいました。 作品を挙げてくださった皆さんありがとうございます。

私自身は現代文学に無知で、まだまだ知らない作家がたくさんいるので、リストを参考に読書を進めてみます。 まだ名前しか聞いたことのない作家がたくさんいる……。

GEBとメタフィクション

GEBはメタフィクションと深い関わりがあり、本全体でメタフィクションについての博物誌をまとめているようなものです。

その根本的な原理は数学を使用して明らかにしているのですが、書籍全体の形式としては、文学的なメタフィクションに負うところが大きいです。

数学やコンピューターについて馴染みの薄い方でも、これはメタフィクション文学なのだ、という観点からGEBを読んでみると面白いかもしれません。 きっと、メタフィクションの原理が様々な別の世界にも通じているのだ、という発見があると思います。

自分自身の物語をものがたる、という行為には、必ずどこかにメタフィクション性が含まれます。 多くの人間がそれに魅せられるという事実もまた、人間の意識と自己言及との深い結び付きを示唆しているのだと思います。

第0回 キックオフ レポート

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「ゲーデル、エッシャー、バッハ」読書会 | Doorkeeper

主催者急病(肺炎)のため延期してしまっていましたが、本日2月27日、無事に第0回を始めることができました。

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(写真は共同開催者の次郎さんより。全部GEBです)

読書会を主催するのは今回が初めてで、見苦しい点が多くあったと思いますが、参加してくださった皆さんのご協力で、とても楽しいイベントになりました。

最初は、主催者2人を含めて3,4人しか集まらないかもしれない……と思っていました。ところが、蓋を開けてみれば、10名もの方々に参加して頂けました。

私自身はまだまだGEBの理解が甘いのですが、物語の道先案内人・面倒ごとを持ち込むメガネ君として、参加してくださった皆さんに本書を紹介する役目が果たせて嬉しいです。

今回の話題

第0回ということで、GEBの周辺をめぐりつつ、2016年現在の状況に通じた話題がたくさん上がりました。

その中でも特に、現実味を帯びてきた人工知能の出現と、それに社会がどう備えるべきか? 人間はどんな姿勢でそれを受け止めれば良いのか? そんなことが多く話されました。

以下、主に紹介頂いた書籍と一緒にコメントを残していきます。

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参加者Kさんの紹介です。技術が人間の制御を超えて動き出す世界について、雑誌「Wired」の初代編集長が執筆した書籍とのことです。

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こちらもKさんの紹介です。技術がブラックボックスになり、知識のない人間にはまさに魔法になる−−そういった時代が、アートの世界には既にやってきているようです。

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高校の同級生であるHくんの紹介です。また、ビブリオバトルでお世話になっているOさんも、以前バトルの場で紹介していました。 情報技術とともに、制御不能となる可能性があるテクノロジーとして挙げられるバイオテクノロジーが、既に市井の人々の手の届く場所に来ている、という本とのことです。

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共同主催の次郎さんが、バイオパンクの例として挙げた小説です。 音楽史をなぞっていくような構成とのことです。

こうしてみると、制御不能な情報技術 = 生命技術 = 生命体、という認識が浮かび上がるようで、興味深いと思いました。

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私の紹介本です。ロボットやAIにより人間の仕事が奪われていく世界を予想しています。 最後にはなんとか楽観的な視点を持とうと努めている本書ですが、人間が徐々に用済みになっていく前半の記述には、息を呑むような迫力があります。

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Oさんの紹介本です。異端の物理学者ロジャー・ペンローズによる、1980年代当時のAI論の批判です。ゲーデル不完全性定理の解説がとてもコンパクト(10Pほど?)にまとまっていて、分かりやすいとのことです。

「皇帝の新しい心」は、GEBに対する一種の返答とも言える書で、よく並べて読まれています。こちらも一般向けの本で、物理や数学の歴史・観点から著者の主張まで、ボトムアップに理解できるように述べられています。また、GEBと同じように、天才らしい飛躍に満ちている本でもあります。

私も10年ほど前に読んだ記憶がありますが、内容はだいぶ忘れています……。

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人工知能に興味を抱かれているEさんからの紹介です。 とても分かりやすい数学書・技術書を執筆されていることで定評のある結城浩先生の、「数学ガール」シリーズの1冊です。

おそらく、一般向けの不完全性定理の解説書としては最も読みやすく、かつ正確な書籍になっていると思います。読みやすい青春物語の形をしていますが、しっかり数式付きで、不完全性定理を解説しきっています。

なお、結城浩先生は、GEBを何度も繰り返し読まれているそうです。「これまでにもっとも繰り返し読んだ本」とのことです。

d.hatena.ne.jp

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同じくEさんの紹介です。「数学ガール」よりも本格派の、数学基礎論の入門書です。数式・論理式・証明図がたくさん出てきます。

不完全性定理からラムダ計算チューリングマシン超限帰納法・証明論・証明支援系まで視野に入れている本です。

読んでみた感じからいうと、これが一通り読めればGEBの理解はかなり早いと思われます。

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私の紹介本です。「不思議の国のアリス」で有名なルイス・キャロルが書いた論理・数学パズルの本です。

ルイス・キャロルは、本名がチャールズ・ドジソン、本職は数学講師で、その数学と論理学の知識が生かされた楽しい問題集になっています。

GEBの対話篇の元ネタとも言えます。

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パズル専門家であるMさんの紹介本です。

多くの著作のある数理論理学者による、タオイズムの解説書のようです。

GEBでは禅が多く取り上げられており、1980年代の論理学・AI論と東洋思想は不思議と相性が良いようです。

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Hくんの紹介本です。テクノロジーに対する恐怖よりも、それを積極的に使って自由を得ている人々(メイカー)の本です。

秋葉原の工房に通っているHくんらしい選書です。

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書籍ではありませんが、実はHくんはペッパーユーザーで、家に彼がいます。

まだまだAIというほどのものは実装されておらず、単純なルールベースで動作するのが精一杯のようです。

それでも、ペッパーを導入した企業の受付や介護施設など、ロボットがいる社会に向けての実験が進んでいるようです。

まとめ

基本的にはまだGEBに目を通していない前提でお話ししていたので、多くの話題に触れられたように思います。

GEBを読み始めると、意外にAIのことはあまり出てきません。数学や、それに含まれる形式システム、あるいは洒落やメタファや言葉遊びやイメージや示唆がGEBの大半を作り上げています。

おそらく、ダグラス・R・ホフスタッターがGEBで行おうとしたのは、単純なAI論を超えたより強い主張で、それは、我々自身による我々自身の理解に通じるものなのだと思います。

少なくともGEBを最後まで見てきた身として、ホフスタッターの直感・問題提起、そして信仰は、今でも色褪せずに有効なままとなっていると思います。

それこそが、GEBが長年読み継がれている理由の核心だと思います。

今回参加された皆さん、拙い主催にお付き合いいただき、ありがとうございました。

また、体調不良などで参加できなかった皆さんは、どうかお大事にお過ごし下さい。

(主催者自身が身を持って健康の大切さを主張してしまいました……)

次回は3/27(日)を予定しています。次は是非ともバッハの音楽を聴ける場所で開きたいと思います。場所と日時が確定しましたら、またご連絡します。

次回以降も、どうか遭難せずに、みんなで頂上を目指しましょう!

また、新たにGEBに興味を持った方は、途中参加や聴講も大歓迎ですので、下記からの登録・イベント参加をお願いします!

「ゲーデル、エッシャー、バッハ」読書会 | Doorkeeper

「ゲーデル、エッシャー、バッハ」読書会を開催します。

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「ゲーデル、エッシャー、バッハ」読書会 | Doorkeeper

ダグラス・ホフスタッター著「ゲーデルエッシャー、バッハ」から30年、20周年記念版から数えても10年が経ちました。

この10年だけを見ても、機械学習技術は大きく成長し、人工知能が人間を超えるという技術的特異点(シンギュラリティ)の到来すら囁かれるようになりました。

そんな今だからこそ、30年前の大著による問題提起と、それらがどこまで解決できているのか・今も残っている問題は何なのか、確かめてみたいと思います。

参加はこちらから

人数把握のため、事前にDoorKeeperのコミュニティに参加して頂けると助かります。

「ゲーデル、エッシャー、バッハ」読書会 | Doorkeeper

私と面識がある場合、その他TwitterFacebookで連絡でも可です。

第1回は1/30頃を予定しています。また、第1回はキックオフ・ミーティングとし、読む前の本の紹介の回にしようと思います。

この会のスタイル

志は高く、間口は広く

本のハードルがそもそも高いので、ごく気楽に参加できる集まりにしたいと思います。

基本的には、自分が読んできた部分について報告して、面白かったところ・分からなかったところ・理解を確かめたいところなどを話し合う場所になります。

途中参加や、読んだことは無いけど聴講(おしゃべり)だけしてみたい、といった方も大歓迎です。

また、今なら先着1名様に邦訳版を1冊お貸しできます。

じっくりと読む

速読ではなく遅読します。なるべく遅く読みます。目標は邦訳版で月に60ページ程度で、1年ほど掛けて読了する予定です。

多岐に渡る内容に合わせて、関連書籍もいろいろ漁れたら良いなと思います。

主催者は素人です

残念ながら私は数理論理学や哲学や情報科学の専門家ではありません。ただの下請けSEで、素人です。

だから、例えば不完全性定理を完全に理解したい、といった要望にはきっとお応えできません。

素人が寄り集まって、お互い励まし合いながら大著を読破する、そういう会にしたいです。

専門家の方がもし参加して下さるなら、もちろん大歓迎です。

ちなみに私は、素人であることに加えて、10年くらい前に8割読んで挫折した経験があります。読破していません。

開催地は都内

主に秋葉原茅場町・渋谷といった、都内のカフェやコワーキング・スペースで開催する予定です。

時間帯は昼〜午後にかけて2〜3時間程度にしようと思います。

なお、本は主催者が1冊持っていくので、参加者の皆さんは持参不要です。

関連本を持って来て頂けるのはもちろん大歓迎です。